今日はこまっちゃんの実家へ。
昼過ぎ、出かけるとき、団地を降りた所で向かいにお住まいの奥さまに会う。顔を覗き込まれたみくりんはみるみる目に水を溜めて、下あごがぐいぐい…と出てきて泣く。
実家について、しばらくみんなにちやほやされ、カメラを向けられぱしゃぱしゃされたあたりで…ギャン泣き。
これが世に言う人見知りだろうか?
最近、前より目が見えるようになったんだな、と感じる。前は誰に抱かれても見えてないから誰かも分かってなかったし、抱く人が変わっても違う人だというのもあんまり分かってなかったんじゃないか。料理中に泣くときは、キッチンが見えるところに寝かせているのだけど、3メートルくらい離れていると、あんまりピンと来てない、2メートル、1メートルと近づいて行くと、「あ!ママだ!」って顔になる。
見えてる具合はわたしと同じくらいなんじゃないかな(近視)。
午前中、こまっちゃんが捨てる段ボールをまとめていて、わたしが、
「段ボール取って置いた方がいいかな?引っ越し用に」
と言うと、
「いや、引っ越し屋から貰えるでしょ。貰えなくても、積むのに大きさや堅さが色々より同じ規格の方が積みやすいから、買えば良いんじゃない」
と言って、
「そういえば完全に引っ越す気でいるね」
と、そう、完全に引っ越す気でいた。
昨日の飲み会でも、「君は成功すると思うよ」と、知り合って間もない派遣先の会社の方々が言って下さったそうで、彼自身も、
「やっぱり全然受からない気がしない。輸入代理店の会社に履歴書出すときもそう言ってたけど、前回は求人が無かった。今回は何たって求人がある!」
…求人があってだめだったとき、あったんだけどね(参照:村長)。
そしてさらに、
「将来はなんかお金持ちになる気がする」
などと、根拠の無い自信が留まるところを知らない。
派遣先からは、
「いっぱい稼いで行ってね。うちは青天井だから」
と、事情を理解して残業を推奨。というか年度末は帰れないで会社に残って仕事をする社員の人が結構いるほど忙しいそうなので、うちの事情は関係無いっちゃ関係無いんだけど。
「子供が生まれた、だから会社を辞めました」
という彼のバックグラウンドは、昨日の飲み会では斬新だったよう。子供が生まれて守りに入るか、一皮剥いて行くか、別れるところだよね。「普通は逆だよね」「会社の近くにそろそろマンション買って」「子供が生まれたら冒険しないよね」、それはもしかしたら男の人より、女の人が求めているのかもなーと思った。
昨日のこまっちゃんが、飲み会の帰りにラーメンを食べたのは、「残りの都会生活を満喫しよう」という気持ちで、昔好きだったラーメン屋に行きたくなったらしい。
食べログ見たら、3.5点以上の店ってものすごく少ないのを知ってびっくりした。東京には3.5点以上の店って、ままあるからめずらしくないけど、愛媛には全然無いのを見て、「やっぱり東京ってすげんだな」と思ったよ。
これが最後と思って都会を見ると、いいところが見えてくる、今しかないと思って今を楽しめるのはとってもいいことだなと思う。今日が最後の命と思って今日を生きる、みたいな。嫌になって出て行くんじゃなくて、好きな場所があって、楽しかったことがあって、別れ難い、寂しいな、と思って東京を離れられるのは幸せなことなんじゃないか、そういう風に、最近心の距離感が変わってきた。
と同時に、子供が出来て「普通」の方に行かずに剥けて行く方に行こうとしているわたし達は、みくりんを見て、やっぱりどんどん剥けて行きたい、予測の付かない方へ行きたい、知らない自分に会いたい、自分が想像できない親になりたい、と思う。それは、自分が良く知っている、馴染みのある、安心安全の価値観、よりも、みくりんと一緒にフレッシュにこの世を見たい、剥けて行きたい、教え込まれたもの、背負い込んでしまった古い自分の歴史を、少しずつ、可能な限り全部、捨てて、芯の所だけにしてみたいのだ。
地方に住んで、たまに東京に来るってなったら、もっと今までと違う見方が出来るかもしれない、良い所だけ選んで楽しもうと、もっと良く思えるかもしれない、小石も砂利も、汚いものもたくさんある所だけど、とびっきりの宝石もゴロゴロしてる、そのいいところだけちょっぴり味わいに。そういう未来は、このまま東京に住んでいて東京で遊ぶより、なんだか楽しそうな気がするのだ。