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2014/12/18

クッキー失敗


こまっちゃんが立川に日雇いの登録に行っている間、愛媛の島々について勉強する。
とにかく島が多くて関係がよく分からないのと、「どの島がこういう地名の場所があって、こんなのがある」、という情報を知った端から忘れるので、やっぱり関係がよく掴めない。
けど、神様がいるってことは分かった。
わたしもこまっちゃんも東国側の人間なので、西の方は全然知識が無いのだけど、日本の中心がそもそもはあっち側、あの島々の方、だというのは何となく分かる。

地域おこし協力隊は1〜3月半ばまでの間に選考があるので、
こまっちゃんは、2月末まで派遣で働いて、3月は日雇いで働くつもりでいる。採用されれば4月一日が仕事始まりだ。
派遣の仕事は只今選考中だが、どうやら有楽町になりそう。
スーツじゃなくていいのでほっとしていた。

夢のような、「こんな暮らしが出来たら良いなあ」というビジョンを日々小さく諦め続けるのが日常だと思うけれど、ただぼんやりとあった「こんな暮らしが出来たら良いなあ」が、夢そのものを生きる、と決意して一歩踏み出したら、玉ねぎの皮が剥けていくみたいに、つるつるとビジョンがクリアになってきて、元々こまっちゃんが持っていた光みたいなものが、掘り起こされてきているように見える。
最初は「良い野菜が毎日食べたい」、そして「ゆくゆくは雇われない生き方が出来たらいいね」くらいだったのが、「程よく自然が」「空が広い」「暖かいところ」「新鮮な魚が安い」「世界に対して開いている」「文化レベルが高い」「自給自足出来る」などなど、自分で知らなかったような条件がどんどん出てきて、霧に浮かぶ島々の写真を見た時には「理想的」などとのたまい、不思議と選べる選択肢が複数あっても迷わなくなって来る。
一年前同じように移住の話をした時は、こうじゃなかった。
もっと自分の気持ちが見えなかった。どういう場所に自分は幸せを感じて満足するのか分からなかった。
それでもまだまだ今は手探りなので、失敗しながら「こっちじゃなさそうだ」と分かるのだけど、そんな中でも、島の生活を想像する度に「こんなことがしたい」「こんなことがよさそう」などと思いつくビジョンが、これまでの生活の延長線上にあるものの、もっと良いものなので、それがまた、ちょっとずつ何も達成していない自分たちに力を与えてくれるのだ。

今日はみくりんがかわいくて、わたしとこまっちゃんは「かわいいよう、かわいいよう」「なんてかわいいんだ」とくらくらしながら交互にみくりんと遊んだ。
「こんなかわいいものを産みだすなんて、神様の仕事を手伝ってしまった」
と思う。
でも何より、こまっちゃんと二人でみくりんを見ているから、そういう気持ちに首までひたひたになれるんだと思う。

ところで、有機農家で農業をやりたいと言っていたのはどうなったんだ?って思ったでしょ?
わたしも思います。

今週末こまっちゃんは、就農希望者が、求人のある農業団体と直接話が出来るフェアに行くのだそう。そっちの道も、候補としてまだとってあります。
わたしは、地域おこし協力隊の方がいいな。
というかわたしが地域おこし協力隊をやりたい。すごーくやりたい。みくりん背負ってでも出来るんならば正直本気で応募したい。