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2020/05/27

眠すぎる


気がついたら島の柑橘の花盛りが、ピークを過ぎている…。窓を開けると、わっと花の香りのする時節が終わる。今年は花芽が例年よりずっと多く見える、木が白く見えるくらい。今年は表年(おもてどし)だそう。裏年(うらどし)と、1年ごとに交互に、柑橘の木は実が沢山成る年と、成らない年を繰り返す。みくりんが貝拾いに誘ってもらって貝を採ってるの図。なんだか見たことのないものすごい貝を採ってきていた。手ぼうきの先みたいな三角の形の大きな貝は、家に帰って貝柱は刺身で、ヒモは焼いて食べた。「味が濃厚だ」という貝の方は、みくりんは食べて「ソーセージみたい」と言っていた。県道の両脇は今オオキンケイギク(特定外来生物)が濃い黄色に満開。最近のみくりんは朝の支度中、「恋ってなに」「怒りってなに」と聞いてくる。試しに「恋って何か知ってるの?」と聞くと、「悲しくて涙が出たり、うれしくなったりすること」だそう。

2020/05/06

今日も今日とて散歩


みんなで家を掃除して、押入れから炭を出して、バーベキュー台も出して、昼は庭で焼肉をする。ぽかぽかと日に当たりながらビール。みんな〜!極楽はここだよ〜!炭と一緒に七輪も出てきた、そういえば我が家には七輪もあった、すっかり忘れ去っていた。今はまだミニサイズの、毎年大量発生する毛虫が既に庭のそこかしこに。季節がどんどん進んでいる!日が暮れたらスクリーンとプロジェクターで映画鑑賞。みくりんのご要望で2夜連続だ。「九州に行きたい」とか「香川にうどんを食べに行きたかった」とか、こまっちゃんはイベント的な遠出を連休にしたかったみたいだけど、ともちゃんはこんな感じの休みが最高。

2020/05/03

海の中の道


みくりんに誘われて雨の中の散歩。子供に誘われなければ雨の日にわざわざ散歩なんてきっと行かないだろうな、丈夫な長靴をはいて、目的地はなく、空は明るく、寒くなく、満開のツツジの蜜は吸い放題で、ポットに温かいコーヒーを入れて。静かで、きれいで、いい匂いがして。先週の営業が終わって、上半期の一区切りがついたような感じ。こまっちゃん、頑張ってました。お店を手伝いに来てくれる方々にも、本当にありがとう。連休は家族で過ごして、気持ちと体を整えます。ここから先の営業形態を、状況を見ながら考えたり、決めたり、もちろんまるまどは大きくは変わらないのだけど、細かくは変動があって、しかし夏はどうなるのだろう?半年後は?1年後は?わたしは、「転換」を体験したくて生きているんだなあと思う時がある。全てのマイナスの体験、辛い出来事や不幸な出来事、ネガティブな体験が、時間をかけていつしか何でもなくなり、そしてある時がくっと反対に振れて幸せを作ったり、強さになったり、心の広さになったり、ポジティブな要素に転換する瞬間がある。そのエネルギーの変化は激しく消耗するものであるけれど、しかしその変化は美しく、人生にそういうメカニズムがあることに深く感動する。全てのマイナスが、その分量分のプラスに、変換できるかもしれない、というチャレンジが、その変換する様を見たいということが、わたしのしたいことのような気がする。わたしは夏が、半年後が、1年後が見たいし、そんな気持ちのまま、落ち着いて日々を過ごしている。

臨時休業のお知らせ

5/7(木)、8(金)、9(土)は臨時休業致します。
どうぞよろしくお願い致します。

2020/04/28

蛸だ蛸


網にかかった蛸が船のいけすにいるというので、歩いて3分のところまで家族3人で見に行く。蛸がいけすから脱出する様子、警戒して防御のポーズをとるところ、体の色が変わるところなど、蛸が美味しいのは知っているけど生態についてはまるで無知だったので、じっくり見てみて、改めて不思議な生き物であった。触っても大丈夫と言われたけど、臆病なともちゃんとみくりんはつんつんしただけでキャーキャー言ってしまいました。海も山もすぐ目の前なのに、人は大抵皆無。学校に行けない間、海や山で1日中2ヶ月でも過ごせば、すごいマスターになれそうだ…けど、わたし達が何も教えてあげられないから想像するだけなのだけど…草むらに入って遊んだみくりんは腕がかぶれて、痒くて泣いていた。うるしの仲間がそこらへんに生えているのです、その草がうるしの仲間だと初めて知った。危険な植物も、蛇も、虫も、何も詳しくない。わたしが森の中で育ち直したい。しかし2時間くらいで元に戻る素晴らしい肌!

2020/04/23

スイッチオン


今シーズン最初のたらの芽は、ご近所の青年が高枝切り鋏で枝から直接切ってくれたものだった。たらの木からたらの芽を切り取るところを見るのは、ともちゃんは初めてだった。天ぷらでしか食べたことがなかったけれど、こまっちゃんがヤーコンときんぴらにしてくれた、たらの芽きんぴらでもめっちゃ美味い。最近はツバメがびゅんびゅん飛んで、ナンパ中か新居設営場所を探し中か、でも流石に集落の路地を低く飛んでも車にぶつかるようなことは無いだろう、ツバメは飛ぶのが上手そうだし、でもひやひやする。春起きたてのメジロはガラスにぶつかってお亡くなりになってしまった、2年連続だ、可哀想だった。もう、すべての新芽がぴかぴか輝いて、山がもこもこ新しい色に生まれ変わって、春雷も鳴って、早速大きなムカデも出て、蛇も冬眠から起きてくるのでしょう、山々、スイッチ入りました!という感じです。週末は集落総出の草刈りです。山藤が盛りです。林のあちこちに生えてる普通の木に、ざわわ〜ときれいな紫の花が咲いている。

2020/04/13

久しぶりにまとまった雨


移住して6年目に入ったまるまど日記。この日を目指して、素晴らしく高価なカメラを買い、素晴らしいカメラマンになっている、というともちゃんの夢は、具体的な沙汰もないままただ日にちだけが過ぎて新章を迎えてしまった。いちおうこの日記は、1年ごとにサブタイトルをつけてアーカイブしているのであります。月日の速さにびっくり。みくりんは先月のある日、グラグラし始めた最初の1本目の歯が抜け、同日、補助輪を外したら3分で自転車に乗れるように。近所の高菜の花も柿の木くらいの背の高さまですくすく。新型コロナの感染拡大に伴って、大三島でもほとんどの人がマスクをするようになり、保育所のお迎えもマスク、小学生たちもマスクで通学、島内の食事が出来るところも、連携を取りながら営業形態を工夫したり営業日を縮小したりしている。何かの機会がある度に思うのだが、ここにはかっこいい先輩がたくさんいる。兄貴と呼ばせて頂きたい、かっこいい大人が、憧れるような、目標となるような大人がまわりにいて、そのことだけでも有り難く思えて、自分の人生これで良かった、と思えてしまう。普段はどうであっても、いざ行動する時にすっと利他的に動く様を見ていると、もう今日誕生日のともちゃんはとてもじゃないが子供のポジションにいる訳にはいかないのだが、周りの大人に守られている気持ちになる。いつかわたしも、あの兄貴達に、最近見始めた韓国ドラマみたいな感じで「兄さん」と呼べるだろうか。ちなみにうちの集落の人同士では、近所の人同士が年上の人に対して「兄さん」「姉さん」と呼びます。移住した当時、30代〜40代の男性に呼びかける単語を持っていなかったともちゃんはとっさに「おじさん」と呼びかけて大変失礼を働いたことがありました。「兄さん」「姉さん」は自分と年の差が10歳〜20歳であれば自分が90代になるまで使える、大変重要な言葉です。ともちゃんも…10年くらいしたら「姉さん」と、呼んだり呼ばれたり、出来るかしら。

2020/04/11

営業日縮小のおしらせ

緊急事態宣言を受け、まるまどでは土曜日の店舗販売を中止し、当面の間木曜・金曜日のみの販売とさせて頂きます。

店舗販売中止の日程
4/11(土)
4/18(土)
4/25(土)
5/2(土)

上記の土曜日は、予約制のパンセットの発送を承ります。
詳細はまるまどのfacebookまたはインスタグラムをご覧ください。
ご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2020/04/08

臨時休業のお知らせ

4/9(木)は、店舗の設備変更のため、臨時休業いたします。
ご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願い致します。

2020/03/22

今時期だけの


この連休はお天気も良く、大三島がいつもに比べたら大変な人出。都市部の人たちが人混みを避けてしまなみ界隈に息抜きを求めていたのでしょうか。でも本当に出かけたくなるような気持ちの良い気候だった。今はルッコラが美味しくて、ともちゃんは苦くて辛味のあるこの葉っぱが大好き。花もつぼみも食べられるので、チーズと生ハムと一緒にバケットサンドにする。食卓が可愛く彩られて贅沢気分を味わえるのは、今だけの楽しみ。みくりん、日曜日はたっぷりこまっちゃんと遊んでもらって、その間ともちゃんはものすごく久しぶりに古い楽譜をひっぱり出して延々ピアノを弾いていた。ラヴェル〜ショパン〜モンポウ〜ヒナステラ〜ドビュッシー〜ブラームス〜…まともに弾けるのが一曲もない。大学時代に弾いたはずの曲が全く思い出せない、楽譜に書き込みがあるからやったはずなのに…。しかし今弾くと、すごく意味がよく分かる、当時何も分かっていなかったことがよく分かる。ここのところみくりんは夕ご飯前にソファで沈没している。なんだか急成長しているように見える。まどろみの合間に目を覚ましたりすると、はっとするくらい、ちょっと大人の顔をしてる。顔の変わる時期なのかも。

2020/03/16

鈍川温泉へ


日曜日。今治から道後へ向かう道を少し山の方へ入って行くと、玉川という町がある。そこには鈍川(にぶかわ)温泉という温泉があって、みくりんとこまっちゃんは2度目の、ともちゃんは初めての訪問。里山が近いこの集落の中には、森を感じる子供が楽しい公園もあり、ものすごく長いローラー滑り台もあって、3人でいっぺんに滑ったらかなり怖かった。以前にこまっちゃんが入って随分肌荒れが良くなった鈍川温泉は、お湯は無色透明で、心持ちとろっとして、温泉に入っている時間はそんなに長くなかったのだけれど、お風呂からあがると、ともちゃんは骨が砕けたように脱力してしまい、翌日はお腹まで痛くなってしまった。これって好転反応なのだろうか…。お風呂の中には子供が遊べるように、おもちゃのあひるが5〜6体、赤ちゃんあひるが10羽以上あって、何だか斬新だった。帰りに今治で、大三島の面々の中で話題のファンタブルキッチンというお店へ。食品のめちゃめちゃおしゃれなセレクトショップという雰囲気の今年出来たお店で、我が家にしてはめずらしく夜ご飯用のお惣菜などを楽しく買って帰る。最近の大三島はきらきらと春らしい日差しの中に、ぱらぱらと、時にざーっとお天気雨が降って不思議なお天気。

2020/03/09

目まぐるしい春


2月末。こまっちゃんの学生時代の友人が泊まりに来てくれて、一緒に今年最初のウグイスの鳴き声を聞き、一緒に観光をし、確定申告の準備をし、1ヶ月提出期限が延び、コロナウイルスで学校が休校になることに驚愕。いつ自分がコロナウイルスにかかって、いつ死んでしまうかもしれないと思ったら、楽しむことを躊躇わずに生きようと思って、自分に禁止していた韓流ドラマを解禁することにした。ともちゃんは何かに夢中になると思考がそれでいっぱいになってしまうので、世に面白いと聞く韓流ドラマを見てしまったら、抜け出せないんじゃないか、日常生活に影響するんじゃないか、と思って恐ろしくて今まで見られなかったのだ。そうしたらば厚生労働省のサイトに専門家会議の見解というのが載っていて、それによると8割の人が軽症で、ただの風邪みたいなもので治るのだという。そうなのか…死んでしまう心配は無さそうだ…。ところで、最近知人に頼まれて、バックアップ用のHDから古いデータを漁っていたら、2014年のともちゃんがいいテキストを書いてたのを見つけた。

 あらゆる幸せの中で、大好きな人と美味しいものを食べる時間は最上位に入る。わたしはそのことを彼といて学んだ。彼の幸せの原風景は幼少期から大人になるに至るまで家族とのご飯にあって、その時間が何より楽しみで幸福だったことが、彼の色々を育てている。一緒に暮らし始めて、彼が大切にする時間を共に過ごすことで、わたしの中にも何かが少しずつ育まれているみたいだった。食に関してドライだったはずのわたしにとって、積み重ねた時間が増えれば増えるほど、自分で自覚している以上に食べる時間が意味あるものになってきているらしい。
 米を研ぐ。ザルとボウルを用意する。計量カップは、居間のテーブルを作ってくれた職人さんが作った胡桃材のもので、ノミの跡が美しく、蜜蝋で仕上げてある。長く愛せるものが見つかれば、出来るだけプラスチック製のものは使わない。米を炊くのは羽釜の形の土鍋だ。使い始めた頃は炊飯器と味がそんなに変わらないと思ったが、水を天然水に変えたら驚く程美味しくなった。彼が研ぐ時は、研ぎ水も天然水を使う。 彼は道具や調味料にこだわった。ブランド品や高級品という訳ではなく、良心的な作り手の、長く使えるものをじっくり探して買う。家にある調理道具はあらかた彼が買ったものだ。わたしはそんな彼に影響されて、自分のお金で秋田杉のおひつを買った。いいお米程、翌朝のご飯が別の料理みたいな新たな美味しさになった。
 いい調味料でいい野菜を使えば、シンプルな野菜もごちそうになる。「作り手の魂がこもっている」ということが、彼が物を選ぶ基準だった。魂とは、愛と言ってもいいかもしれない。魂の込められたものは、食べるたび、使うたび、少しずつ愛を自分に渡してくれる。わたしは、物は物だと思っていた。でも彼と付き合うようになって、初めて、そうじゃないかもしれない、物にはそれぞれの経歴によって纏っているエネルギーがあるのかもしれない、と思った時、いつでも何をしても片付かない自分の物が積まれているのを見て、その雑で荒んだ気配は自分が物達に与えていた態度とそっくりそのまま同じものであるかもしれない、それがこの世の見えない真の姿かもしれない、と、これまで思ったことのないことを思った。
 彼は作り手が込めた魂を感じることの出来る感受性を持っている。わたしは彼の、込められた思いの質を計る感受性を信頼し、彼が感動する時はその彼の在りようにわたしも感動した。

なんだか、こまっちゃんと一緒に暮らし始めていい影響を受けている感じが初々しいですね。今はご飯を炊く時、子供の都合に合わせると炊飯器の方が便利が良くもあり、殆ど土鍋もおひつも使っていません。でも自分がいつ死ぬか分からないと思うと、ここに戻るような気がします。つまり、大切に思うものを使って、美味しくご飯を食べて、1日1日を過ごす、ということです。最後の日まで。